陸日記

絶叫Z世代

四国横断

 


四国横断 無補給・野営の冒険記録

 

 

 

 


序章

 

 

 

この葉月、私は空前絶後の二十連休を手にした。

家でだらだら過ごすなんて一日も必要ない。決意したのは、以前から憧れていた「四国横断」だ。

 


本当は徳島県の剣山系から愛媛県石鎚山系を縦走し、四国山地を越える計画を抱いていた。だが真夏の四国山地は水が枯れる。前例もなく、命の保証はない。秋か春でなければ叶わぬ夢。

 


そこで編み出したのが、自らのオリジナルプラン。

四国最東端から最西端まで、総距離372kmを一般道で繋ぎ、四国山地南麓を抜け高知市内を経由し、九日間の完全無補給・完全野営で踏破する旅。

 


ただし困ったことに、この二十連休が決まったのは出発のわずか二日前。装備の軽量化も戦略も不十分なまま、16kgのザックを背負い強行軍へと飛び込んだ。

 

 

 

 

 

 

 

八月一日。まるで護送車のように思える高速バスに揺られ、徳島県阿南市へ。さらに激しく揺れるバスを乗り継ぎ、徒歩二時間。ようやくスタート地点の四国最東端・蒲生田岬へ到着。

 


ザックの重みは、始まる前から体を痛めつけてくる。

岬の野営地はオーシャンフロントの芝生サイト。海を見下ろしながら井戸水で身体を洗い、テントへ潜り込む。

 

 

一日目


一日目の行程は、いきなりの60km。夜、太平洋の巨波がドラえもんの顔ほどある岩を転がす轟音が眠りを妨げる。うとうとしたかと思えば目が覚める。テントの外に広がるのは、ただ青紫の空と海だけだった。

 


――空と海で「空海」。遍路の始まりにふさわしい、運命的な景色。

私は不安と辛さに包まれながら、早くもスピリチュアルな領域に足を踏み入れていた。

 


遍路は「同行二人」、空海が常に共に歩くと言われている。だが私はスピリチュアルとは縁がない。最初に出会った地蔵に頭の中で繰り返した言葉は――

 


「頼むから、邪魔だけはするなよ。」

 


罰当たりだが、三度唱え倒した。

 

四国に暮らして二十八年。だが南東部は未踏の地だった。歩きながら、いつか室戸岬から巨大なカンパチを釣り上げたいと思う。

 

徳島南部を歩き抜ける。田園を越え、峠を越え、トンネルを抜ける。那賀川下流に至った頃には疲労困憊。さらに上流へと歩き倒し、美しい渓谷へ到達した。どこでも野営できそうな広さ。河原に降りてテントを設営し、汗と匂いの染み込んだ服を川で洗い流す。

 

 

2日目


三リットルの水を汲み、別府峡渓谷を目指す道すがら、世界一美しいと噂の「未来コンビニ」に出会った。朝霧立ちこめる渓谷に光が差し込み、赤とんぼが無数に舞う。筆舌に尽くしがたい光景。

 


だが別府峡の川は想像したほど綺麗ではない。野営し、また水浴びをして一日を終える。三日目のアルファ米が胃に重く、虚しさが胸に広がった。

 

 

 

 

 

 

三日目

 

 

 

別府峡から高知市内へ。行程はまたしても60km超。午前三時に出発し、香美市を抜け、午後四時に高知市街に辿り着く。

 


靴は足のむくみで擦れ、爪は剥がれ、豆が三つ。痛みで続行不能を考えたが、市内で同じMERRELL Moab3を新調。痛みを軽減させ、引きずる足で種崎千松公園へ。夜十時に到着。

 


完全無補給を掲げていたが、靴を買ったことで「食料無補給」に変わった。

ただ、このキャンプ場はゴキブリだらけ。三歩歩けば奴らが蠢き、蚊も多く、暑さも酷い。夜、足を二十箇所刺され、猛烈な痒みに悶えた。

 

 

 

 

 

 

四日目

 

 

 

午前三時、眠れぬまま出発。行程は短めで波川公園へ。靴は馴染み、痛みも軽減。剥がれた爪はアロンアルファで接着し、水ぶくれはナイフで切り裂いた。

 


波川公園では多くのキャンパーがBBQをしていた。漂う肉の匂いは拷問に近い。嗅覚は研ぎ澄まされ、ホルモンの脂が溢れ出すようにを舌から唾液が吹き出す。唾液が溢れ、テントに落ちる雫が汗か涎か分からなくなった。

 

 

 

 

 

 

五日目

 

 

 

再び50km超の行程。愛媛県に突入し、久万高原町・軍艦岩を目指す。幼き日の記憶にある川。だが仁淀川を遡上しても、仁淀ブルーは現れず、ブロッコリーのような深い緑のまま。

 


夕七時、ようやく軍艦岩に到着。川で水浴びをするが、どこか不気味。二週間前に人が亡くなった場所だと聞き、背筋が冷えた。

 

 

 

 

 

 

六日目

 

 

 

軍艦岩を発ち、すぐに豪雨と雷。PatagoniaのH2NoもGORE-TEXの靴も無力。冷たいBB弾のような雨が36.5度の情熱を奪う。

 


水を吸った靴とザックは史上最重量。必死に小田せせらぎの郷へ逃げ込み、道の駅でテントを張る。川はカフェオレ色に濁り、水量は倍。疲れ果て、そのまま眠った。

 

 

 

 

 

 

七日目

 

 

 

内子の「からり」へ。山を一つ越えるだけだが、蚊とメマトイの大群に発狂。バグネットの存在を思い出し、被って難を逃れる。

 


午後二時に到着。だが脚は限界に近い。筋肉痛はテーピングで誤魔化せても、関節の炎症はどうにもならない。時間は長く、退屈で、ベンチに座り日没を待った。

 

 

 

 

 

 

八日目

 

 

 

伊方町佐田岬の付け根を目指す。弱い雨。濡れた衣類でザックは重く、脚は痙攣を繰り返す。

 


体臭は腐敗寸前。虫に群がられ、牛舎の牛のよう。愛媛に入ってからは景色も冴えず、気持ちは沈む。

 


須賀の森公園でキャンプ。隣のグループはまたしてもBBQ。どこから来たかと問われ、正直に「四国横断中」と答えると、彼らはドン引きした。それでも最後には応援の言葉をもらい、またアルファ米をかき込んだ。

 

 

 

 

 

 

九日目 ――終章

 

 

 

最終日。50kmの行程。激しい雨。だがもうザックの中身を気にする必要もない。

 


午前三時に歩き出し、道の駅「はなはな」には午前十一時到着。しらす丼に心揺れるが踏みとどまる。

 


伊方町の小さな集落を抜ける。幅90cmの石畳の道は、イタリアのアマルフィを思わせた。地元の老人に声をかけられ、送ってやると言われるも、歩みを止めず感謝だけ伝える。

 


やがて佐田岬灯台駐車場へ。暴風と豪雨。足元には荒れ狂う波。まるでラスボス戦。足先の感覚はなく、痙攣も止まらず、肩はザックの食い込みで後傾し変な音がなる。

 


だがアドレナリンが痛みを消した。最後のアップダウンを越え、ついに四国最西端・佐田岬灯台へ

 


霧の向こう、広大な九州の影がうっすらと浮かんでいた。

最大の冒険だと思っていたこの横断が、海の向こうの広大さに比べれば、あまりに小さく感じられる。

 


それでも――私にとって忘れ得ぬ挑戦であり、確かな到達だった。