rk_southsideの日記

絶叫Z世代

SUP漂流記録


sup漂流記録

2023/3/12

supで漂流するという恐ろしくも貴重な体験したので同じ思いをする人が少しでも減るように記録を残す。

危ないならやらなければいいという意見はごもっともだとも思うが、そういった意見はあまり建設的でないため工夫を考える方向性で、もちろん死亡やケガするリスクは0にはならないが少しでも近づけるようにするために記録を残す。

私のsupの技量及び装備について

supは昨年4月より始めて、主にsupフィッシングとしてこれまで50回ほどは海に出て楽しんでいた。

装備は10.6ftのsup、ダブルブレードアルミパドル、

2.5mmウェットスーツ、ライフジャケット、釣り用タックル2本、釣り小物ソフトバッカン3kgほど、タモ網、スマートホンである。

当日の天気予報と実際の天気について

予報では21:00頃から雨が降るとのこと

風速は朝から19:00までは2m前後19:00〜4m前後と釣りを17:00までとするなら全く問題ない予報(風に関しては3社のアプリから総合的に判断)

実際の天気は快晴で風もほぼ無風であった。

事故時の状況のついて

12:00supで上記の装備と共に双海海水浴場を出航

岸から800mほど沖で釣りをしていた。

16:00頃まで無風と快晴でこの上なく最高のコンディションであった。

16:15分頃そろそろ岸に戻ろうかとしている頃、岸に向けて5、6mほどの風が吹き始める。どうにも変な風だと思ったが岸に向けての風なのでそれに乗って岸まで戻ろうとしていた。

16:30頃それまで岸に向いていた風が突如沖に向かっての風になった。それまで無風であったのに体感で10mほどの風が急に沖に向かって吹き始めた。

頑張って岸に戻ろうと試みるが瞬間的に15m程の突風が吹いた際にsupが転覆。スマートホンを取り出そうとしていたタイミングだったためスマートホンを紛失。

釣竿2本も紛失、再乗艇は問題なく行えた。

海水浴場に人が何人かいるのが見えたので、大声で助けを求めるが向かい風で全く聞こえていない。

助けを呼ぶという手段が一切尽きた。

 

その後も岸へ必死に漕ぐがあまりの強風のためいつもの5%ほどしか進まない。

16:30〜17:30ごろまで1時間あまり全力でパドリングしたが、岸にたどり着けなかった場合にどこかでサバイバルする体力を温存しておかないと危険だと判断し、岸に戻るのは諦め漂流することを決める。

沖の方へ凄まじい速度で流されて行く際沖には、島がいくつか見える。

これらの島々(由利島等)にいずれは辿りついていただろうが無人島であることを知っていたしあまりにも遠い。

ただ風に乗ってバランスだけ取ればいいので体力的には問題ないだろうが、その後残り少ない水分で数10時間サバイバルをすることになる。加えて21:00頃から雨予報で翌日も雨、自分の体温がそれに耐えられる自信は無かった。

本気で自分はこのまま死ぬと思っていた。 死ぬのを受け入れていたという方が近い。

沖に向かって右側には松山市がある。そちらへ辿り着ければ救助もすぐに呼べて安泰なのだが沖に向かっての風があまりに強すぎるため無事に辿り着ける自信は無かった。

広島方面への強風と高波を自分の右側から受けるので、愛媛の北側の海岸に着岸できなかった場合広島側までひたすら流されることになる。

それでも、今見えている由利島などまで到着したところで救助が来るかも分からないし翌朝まで耐えられないと判断し、松山市を目指すことにした。

この時既に軽度の低体温症の症状が出ていた。

後で調べたが距離は25キロ程度だった。

一般的にはアマチュアsupでの限界航行距離は20キロ程度と言われているがそれはそれほどの波も風もない時の話である。

 

その時18:30くらいで日は沈み夕焼けがうっすらと残っているくらいの明るさ。

間も無く夜になる恐怖と、その時既に波は3mほどの巨大なものになっていた。今まで経験したことのない最悪な状況に絶望していたが少しづつだが確実にパドリングでsupが前に進んでいるのを感じていた。

数分後いよいよ夜になり先程まで目視出来ていた波が急に目の前に現れる。

瀬戸内海にうかぶいくつかの島の姿は見えなくなった。松山市の灯りだけは煌々と曇り空を照らし幸いにも方角が分かり自分のところまで月明かり程度の明るさが届いていた。自分の周囲の泡が見える程度。

それから約4時間パドリングした。

あまりの辛さと恐怖に。もう死んだ方が楽だと考えパドリングの手を何度か止めた。

足が同じ姿勢なので血が止まって感覚はない。足は青黒く変色して手の指は皮がずる剥けで血が滲んでいたが痛みは感じなかった。腕と背筋、はパンパンで波に煽られ何度も転覆しそうになるがギリギリ持ち堪えた。

時折supがサーフィンの様に波に乗ったりしていた。

supで行くには果てしなく遠い松山市の灯りを目指して我武者羅にだが、一漕ぎ一漕ぎ丁寧に丁寧に、確実に前に進んでいることを心の支えにしてに漕ぎ続けた。

途中波が高すぎてパドリング出来ない時はヨットが進む原理を応用しパドルに強風を当てて向きを修正した。

3時間のパドリング中大きな貨物船や飛行機などに駄目元で助けを求めたりもした。が夜なので見えるはずもない。松山市の岸に近づいていると思ったら巨大な船がこちらに来ているだけで絶望した。とてつもなくどす黒い巨大な波にあおられるも低体温症の症状なのか眠気が襲ってくる。死を目前にして微睡んでいると高波でもう一度転覆する。

21:00冷たく激しい雨が降り始める。

砂利を顔面に投げつけられているかのような雨。眼もまともに開けられない。眼に力を入れ過ぎて頬骨の上にある筋肉がつっていた。

同時に松山空港埋立地の岸を捉えた。。

しかし、滑走路なので上り口など無く10mほどの高さがある。向かって右側になにか上がれるところがあるかと500mほど漕いでみるが無さそうだった。今度は左側へもどって長い滑走路の脇をまた2キロほど漕いだ。滑走路の下は波を和らげるために格子状になっている。そのためそこから跳ね返ってきた三角波の不規則さによってなんども転覆しそうになる。

雨も次第に強まり身体はかなり衰弱していたが、海上でのサバイバルは避けられたと安堵して最後の一口分だけの缶コーヒーを飲んでラストスパートをかける。

松山空港の内湾へようやく辿り着き波は消えた。

テイジンの工場の灯りと空港の滑走路の間である。

以前空港の工事を管理していたことがありたまたまこの辺りの地理が頭に入っていた。

その周りを見渡しても上がる所はないが河口があることを知っていたのでそちらを目指した。

雨と風は治まりはしなかったがなんとか水門に辿り着きテトラから陸に上がることができた。

陸に上がった途端に安心感からか奥歯が割れるのではというほど強い震えが止まらなくなり足の感覚は無く、触っても何も感じない。立って少しづつ歩くのがやっとだった。

水門の脇に持ち物を置いて人を探す。 つま先が道路に擦れて爪の先から血が出ているが何も感じなかった。

軽バンが通過する際助けを求めるが気づかれない。

途中濡れた鉄板で滑って後頭部と肘を打つ。

ようやくテイジン(工場)の守衛室に辿り着き救急車を手配してもらい0:30救急搬送された。

中度の低体温症と脱水症状と診断され暖かい布団に入れられ点滴など受けて3/13 朝、回復し自宅に帰る。

もし無人島を目指していたら、もし双海の岸に向かっていたらどうなっていただろう。

 

長くなったが、天気予報にない強すぎる突風、しかもそれが継続する状況というのはかなり稀な例ではある。

この風が起こってしまった以上sup及びカヤックなどには現段階では成す術が無い。

普段は予報で風速が3mを越えるなら出ないようにしている。

今回はスマートホンを紛失するという絶望的な状況であったために起こった。

首から掛けるケースには入れていたが出し入れを行っていた際に落とした。

今後は浮くケースなどあればそちらを取り付ける必要がある。

supフィッシングでは他の船から発見されやすいようにフラッグを立てる人がいるがこれは風を受けて危険なので自分は取り付けていない。今回の転覆もロッドを立てていてそれが風を受ける形になった。

巷で安全と言われる装備などでも実は危険な状況があったりする。インターネットに書いてある安全装備が本当にその人のフィールドに必要なのかが重要だと痛感した。

自分のように漂流した人間の意見というのはあまりネット上にもなく貴重だと感じ、これからsupを始める人やしている人に少しでも役に立てばと今回の記録として残した。

現在私が導入予定として考えているのがココヘリマリン(開発中)というサービスだ。

登山界隈では有名でGPSタグを保持して遭難し、救助の際に正確な位置情報によって

迅速な対応が受けられ、また費用も保険で支払われるサービスだ。

現在は登山中のみの保証だが、ココヘリマリンは海上での救助も保証されるサービスとなっている。是非皆様にもご検討いただきたい。

快晴で穏やかな海も、雨降る夜の荒れた海もまたそれぞれ違った美しさがあり死にかけながらも感動を覚えた。 同時に達成感のような物も感じた。

登山家が死ぬのを分かったうえで難攻不落の挑戦に挑む気持ちが少し理解できた。

好きなアーティストの言葉で、裏を見て表を歩けという言葉があるが、裏(マイナスな面)を知らずに表(プラスな面)知っているだけでは本質を知ることも楽しむことも出来ないのだと強く感じた日となった。