rk_southsideの日記

絶叫ぎりぎりZ世代

日本の髭問題

かつていた建設会社で『君は髭が無いほうが若く見えるのに、もったいない』

偉い人にそう言われた。

髭を剃れと遠回しにいいたいのだろう。

もちろん断った。

極めてトラディショナルな男性社会の建設の仕事において見た目が若いことのメリットは特に思いつかない。

若さにメリットがあるのは体力面だけだ。

 

ここ日本では髭はタブーである。

それはもちろん分かっているしこういう紛争が起こることも初めてではない。

こういった問題には必ずと言っていいほど髭くらい剃ればいいだけの話。という間抜けな意見がある。

これは髭が必要不必要かという問題ではなく集団の雰囲気で他人の自己決定権を奪っていることが問題なのだ。

このような多様性と画一性がぶつかりあう問題は世の中にたくさんある。

小学校の女子のスカートかパンツ問題などもそうだ。

これまで女子は学校に行く際、女性で生まれたが故にパンツを履くことができなかったのだ。

逆もしかりである。

 

反対意見と言えば、男がスカートはおかしい。公務員がドレッドはおかしい。などの見慣れないものへの嫌悪感からきているものばかりである。

まるで節分の鬼と対峙して泣き喚く幼児である。

そんな嫌悪感は5年10ほどすれば当たり前になることは歴史を見れば明らかだ。

 

日本の歴史をたどると、髭=反逆の象徴 らしい。

もちろん上司に‘‘反逆‘‘しようなど考えたこともない。業務において尊敬している人ばかりだ。

しかし上司の命令を断るという‘‘反逆‘‘行為に及んだ点では反省するべきなのかもしれない。

もう一つは、清潔感に欠ける。こちらは納得できるような気もするが清潔感というのはあくまで主観であって理由ではない。

そもそも私の仕事は巷でいう3K。きつい・危険・汚い 汚い。

世間一般から建設業は汚いということで市民権を獲得しているのだ。

そもそも不潔だろうが何だろうが業務に支障はない。

飲食店等において髭が食品に混入する恐れがある場合などは納得できる。それでもマスクをするなどすれば問題ないと思うが。

 

ただ、この髭がタブーだという日本特有の文化、空気感はダイバーシティの考え方の浸透によって先ほども少し触れたが少しづつ、少しづつ変わってきている。

新卒で入社した会社では髭について厳しく指摘された。絶対に許されない空気感があった。

それから様々な会社で様々な人に出会い何度も指摘された。

しかし、5年たった今では、髭について言及されることは減ってきた。髭のある私だからこそ感じ取れた変化だろう。

これはまさに、猫たちが髭で障害物との距離を感じとるように。

私はこの髭をピンとたててダイバーシティとの距離感を敏感にとらえているのだ。