rk_southsideの日記

絶叫Z世代

母方の祖母の思い出

私の釣り歴について祖母のことを書いたら、祖母を詳しく生地にしてくれとリクエストがあったので、祖母を何かしらの生地にできるようこねくり回してみる。

 

ここでの祖母は母方の祖母だ。

私は所謂おばあちゃんっことして育った。

祖母は9人兄弟の末っ子だ。

母子家庭で、母が仕事の合間は祖母の家にいた。

祖母は生き物が好きでいろいろな動物を飼育していた。

にわとり20羽ほど、ウサギ一羽、鯉30匹ほど、犬2匹、猫1匹、金魚10匹、ヒキガエル3匹、私と兄と祖父、時々スズメがいた。

動物園のふれあいコーナーの様でもあった。

これらの動物のほとんどは、もともと野生だったのを飼育している。

保護というべきか捕獲というべきかは意見が分かれる。私はおそらく保護されたほうだ。

 

祖母の家というのはそんな生き物たちのむさくるしいジャングルのようだった。

平屋15坪ほどの小さな古い家は周囲を木で覆われ日当たりも極めて悪く、周囲を川が流れていてじめじめしていた。蚊や蜂は大量でトイレに2mほどの蛇がいたり、茶の間から見える木に猿やリスが見えたり、風呂の天井にコウモリが何匹も休憩していたり、炊飯器の中にネズミが死んでいたりした。

 

シティボーイの方たちにはこの環境は劣悪に思えるだろうが、私は楽しかったので喜んで祖母の家に遊びに行っていた。

 

祖母の家での1日は、朝ニワトリの鳴き声で起床し、そのままニワトリから卵を奪いに行く。1日4つほどは奪った。彼等は自分の卵に興味関心はない。

 

うさぎは小学校で産まれた子ウサギを私がジャンケンで平和を祈りピース✌️で勝ち取った。兄と仲良く段ボールに入れて連れて帰ったことを覚えている。

そのウサギは空いたニワトリ小屋で飼育されることになったが翌日網の隙間から入った蛇に丸のみにされた。蛇は丸呑みにするからパー✋のはずなのに。

 

ニワトリ小屋のすぐ隣に大きな栗の木があった。悪い事をしたり言う事を聞かないと祖母に栗の木に縛りつけられた。

有名な歌、大きな栗の木下で〜♪は私にとって楽しい歌ではなかった。

 

犬はその辺でうろついていた野良を拾ったらしい。中型犬で薄汚れたヨークシャーテリアのような変な犬だった。見た目こそ汚いが人懐っこく可愛い犬だった。

そんな可愛い犬は犬嫌いの非情な祖父に(やぶれ犬)という聞いたことも無いような酷い名前で呼ばれていたが(らんこ)というやはり可愛い名前になった。

 

鯉は全て祖母が釣った鯉だ。畳2畳ほどの池に信じられない密度で飼育されていた。

たまに親戚が集まった席で振舞われる。鯉こくや洗いでもてなす。決して美味しくはないし喜ぶ人も多分いなかった。

 

猫の(にゃーすけ)はどこから来たのか分からないが、いつも凶暴だった。北野映画でも観たのだろう。

 

ある時祖母の家の近くの畦道で大きく太ったヒキガエルを見つけた。

背中に白い線がある。恐らくなにかの病気なのだろうと思った。軽く棒でつついたりするが逃げない。

 

家の前の川にはテナガエビやヨシノボリが生息していて、学校から帰った後に祖母と『ガサガサ』という、網で水生生物を採集する遊びをよくやっていた。

捕まえた生き物はバケツに入れていた。

ところが次に祖母の家に行ったときにはその採集した生き物たちは消えているのだ。

なぜなのか、祖母に逃がしているのか聞いてみたところ金魚の池に入れているという。

すぐに確認しに行ったが、大好きなかっこいいテナガエビはいない。

祖母はテナガエビはどこかに隠れているのだろうとしか言わなかった。

 

しばらくして、また畔道に丸々と太ったヒキガエルが現れた。

今度は背中に青い丸が書いてある。

これは病気ではない。人の手によって書かれたものだと確信した。

つぶらな瞳でこっちを見てくる。その瞳に野生の生き物の緊張感や恐怖感は感じられなかった。

祖母を呼びに行った。戻ってくるとヒキガエルが増えている。

青い〇のやつと、もう一匹は鼻先が赤く塗られていた。

2匹ともが何かを待っているかのようだ。

呼んできた祖母の手にはいつも採集した生き物を入れているバケツ。

祖母がおもむろにそのバケツからテナガエビヒキガエルに与えた。

ヒキガエルはそれを丸のみした。

どうやら祖母が餌付けするために識別できるよう落書きされていたのだ。

ハトや鯉の餌付けをする老人はよく見るが、ヒキガエルは理解に苦しむ。

 

私の身長が少し伸びて玄関の靴箱の上側が見えるようになった時、ヒキガエルやそのほかの生き物の餌付けやその日の様子などが記録された用紙を見つけた。

どの生き物がどの食べ物が好きかも書いてある。

 

その日もお昼ごはんは手羽先だった。私はいつも貪るように骨までしゃぶりついた。

 

祖母の家とその近辺の生物のバランスは祖母によって保たれた大きなビオトープのようだった。

祖父は亭主関白なようで実は祖母に逆らうことはしなかったことに加えて。

初めは「じいちゃんち」と言っていた私と兄がいつの間にか「ばあちゃんち」と名称を変更したこともこの事実を裏付ける。

 

暴力性などとは対極に位置する慈愛に溢れたまさに強い女性として、

尊敬する祖母だ。おばあちゃんっこですもの。