コロナ渦を紳士淑女の皆様と戦い抜いたことを誇りに思う。
思い返してみてほしい。コロナ渦というゴングが鳴った頃を覚えているだろうか。
私は忘れていたがどうやら2019年12月頃かららしい。
現在はどうやら2023年4月らしい。
『女子高生』は伊藤ハムの商標登録らしい。
コロナ渦ももう4年目となっていることに衝撃を受けた。
思い返せば、その時は住宅会社で施工管理をしていた。
最初は海外でコロナが発生し、必然的に日本にも輸入された。
その時は私も未曾有のウイルスによってこの世界はどうなるのか、自分の生活はどうなるのやらと、コロナビールの将来と、自分の将来を心配していた。
政府がマスクの着用を呼びかけていた。強制はしないと言っていた。
しかし、営業マンがマスクをして接客する光景に驚き、世間の焦りを感じ、大変なことになったのだなと実感した。マスクマンという言葉はマスクをした営業マンの略語なのか。
マスクが嫌いで6歳の時、給食当番のオファーをお断りした経歴を持つ私も、上司の命令によりマスクを装着し。マスク監督になった。
そしていつの間にやら愛媛の街中や、地元の田舎でさえもマスクをした人たちで埋め尽くされた。
仕事を休むと会社に迷惑、お客様にご迷惑をかける。だからマスクをして自分の身を守ることは大切なのだ。未曾有のウイルスから自分の身は自分で守る。至極当然だ。
コロナウイルスがまだどんなウイルスか偉い人達もわかっていない。
死んでいる人もいる。
真偽不明ないろいろな情報が飛び交いコロナウイルスはまさに 世間をお騒がせした。
記者会見を開いてもらいたいものだ。
飛行機に乗る際、マスクの着用を断った男性が逮捕されるというニュースは印象的だったので覚えている人も多いのではないだろうか。
マスクの着用は推奨であり強制ではない。それは憲法で保障されているにも関わらず、なぜ逮捕されたのか。なにかおかしい。
このままでは給食当番をお断りした自分も逮捕される可能性があったので、詳しく事件について調べた。
すると、マスクの着用を拒否する際、客室乗務員の女性に対して傷害を加えた罪で逮捕されたのだった。マスクが原因ではあるが、ニュースが明らかな偏向報道を行っていたのである。
ニュースのみで世間の流れを把握することのリスクは把握していたが、世間の大多数の人たちはニュースを鵜吞みし。社会もニュースを根拠に動いていた。
月日は流れ、コロナウイルスというのがどんなものなのか偉い人達にはわかってきて、それとの向き合い方も分かってきたのが2022年初頭だったように記憶している。
私は常にマスクを外したいと思っていた人間だったので、コロナのフレッシュな情報をフレッシュなマスクを着けてチェックし、フレッシュな状態でありたかった。夏の扉を開いた。
コロナの感染者数の推移はもちろん。どのような症状、どんな人が死ぬのか、なぜ感染するのか。
蓄えた情報を鵜吞みにはせず、他の人よりも少しばかり発達した顎で咀嚼した。
様々なSNSや世論ではマスクを外すか外さないかで論争が交わされていた。愚の骨頂である。
いつの間にか、世間はコロナとの向き合い方というより、マスクとの向き合い方に悩んでいる人が多くなっていた。
そのころには私はマスクを普段の生活では完全に外していた。
たまに、マスクをしてないやつはやばいやつ。というえげつない差別発言を平気でSNSなどに書き込む人もいた。
たしかに間違ってはいないかもしれない。私がやばいかどうかは知らないが多くの人にとって都合のいい人間ではないからだ。語彙力のない人には、やばいという形容詞しか存在しないことを私は知っていたので、この不意のパンチは耐えた。
最初は推奨されていただけのマスクもいつからか事実上強制になっていた。
自分が感染しないように自分の身を守るためにする物だったマスクを製造業者は、マスクは他人に迷惑をかけないようにするマナーだと言った。ふざけるな。
マスクを外したい私には、右の脇腹へのボディブローだ。うっ
じわじわとボディブローが効いてきたころ、マスクはこの国の社会人の正装となった。
社会人には特に必須アイテムで、スーツや革靴を身に着けない人でもマスクはつけた。
ニュース番組の占いのラッキーアイテムは全てマスクで問題なかっただろう。
私もマナーとしてはつけていたために馬鹿にしたくはないが、数年後コロナを知らない世代には面白おかしく馬鹿にされるだろう。
この強烈なパンチによって意識は朦朧としていた。
そしてコロナ渦という決闘のまさに最終ラウンドのゴングが鳴ろうとしているころ、
厚生労働省が放ったCMの右ストレートで完全にノックアウト。
その内容は
個人の主体的な選択を尊重し、個人の判断が基本となりました。
最初からそうだっただろ。
リングに沈み込む刹那。走馬灯のようにコロナビールを思い出した。
コロナビールはコロナ渦で売り上げを伸ばしていた。その事実を知れただけで私はまた立ち上がることが出来た。