rk_southsideの日記

絶叫Z世代

SUP漂流記録

 

3/13 快晴 10℃ 凪 風速1m

私はSUP(スタンドアップパドルボード)にて釣りに出かけた。

出発場所は愛媛県伊予市の双海海水浴場 午前10:00

持ち物はコーヒー500ml、竿2本、ルアー等小物およそ5kg、スマートフォン

服装は2.5mmウェットスーツ ロングジョン型 ライフジャケット 

 

波も風もうねりも無く1年に1度あるかないかくらいの絶好のSUP日和だった。

もちろん事前に天気予報は必ずチェックしている。

 

狙いは産卵のために浅場に接岸してくる大型の真鯛だったがまだまだ水温は低く一匹も釣れなかった。

 

16:30急にショアに向けての風が吹き始める。風速は体感で4~5mほど

危険だと判断しその風に乗って岸を目指す。岸までの距離は500mも無いくらいだったと思う。

残り200m地点まで戻ってきたころ突如風向きが反転し、オフショアの風になった。

本当に一瞬の出来事だ。刹那的な突風かと思ったが風は止まずに強くなっていく。

体感で8mほどになった。その頃には波も1mほどになりSUPを進行方向に向けてもすぐに横に向いてしまう状態だった。

ひとまず一旦落ち着いてスマホにて天候の確認をしようと取り出した。この間もSUPは非情にも沖に向かって経験したことのない速度で流されていく。

スマホにて天候を確認したところやはり突発的かつ局地的に発生した風のようで反映されていなかった。自身の現在地と天候と低気圧の位置はこの時確認できた。

しかしスマホをしまおうとした瞬間SUPごと吹き飛んだ。体感でも覚えていないような凄まじい風だった。後日確認したがこの日の最大瞬間風速は25mだ。

 

一瞬のうちに海に投げ出され積んでいた道具のほとんどが海に沈んだ。

再乗艇は練習を何度も行っていたので荒れた海でも問題なくできた。

残った持ち物は残り200mlほどのコーヒーのみだった。

パドルとSUPと自分の身体は一本のロープでつながっているため無くならなかった。

 

スマホを紛失したことにより頭が真っ白になった。もう一度岸に向かって必死で漕ぐ。

しかし最初よりも風は強く波も立ち帰還できる気配はなかった。

この時初めて漂流するかもしれないと感じた。

漂流をするにもスマホが無く助けを呼べない。誰かが通報してくれる確信も無かった。

漂流するならおおよそ2日間は3月の海で生き延びならなければならないと思った。

 

それからも諦めずに約50分間必死でひたすら漕ぎ続けた。これまで2時間本気で漕ぎ続けるトレーニングは何度かしてきたが、50分漕いでも進んでいないと思った。

スマホがあればGPSで自分の現在地を確認できるため自分が進んでいるのか流されているのか確認ができる。この時は周囲の景色と自分の位置関係が見た感じ変化がなかったため進んでいないと判断した。

もしかするとぎりぎり進んでいたかもしれないのだが、これ以上漕いで体力を奪われ、たどり着けなかった時、残り200mlの水分では生存することはできないと判断した。

 

そして17:30頃漂流することを決めた。

この時の絶望感は鮮明に覚えている。パドリングを止めた途端にSUPの方向がくるりと180度水平に翻った。今まで50分程度漕ぎ続けた距離をわずか2分ほどで流された。

風下にはダッシュ島が見える。このまま漂流すれば6時間後にはダッシュ島に漂着するだろうと思った。その砂浜に穴を掘って体を埋めていれば低体温で死ぬことは無いだろうと思った。

漂流を始めてわずか数分で、これまで来たことがないような沖まで流された。波はすでに3mほどの巨大なものになっていた。SUPが転覆しないようにするのがやっとだった。

 

18:00 日没の時間が迫る。

薄暗くなっていく海の上で流されながら、夜間の漂流をどのように過ごすか考えた。

この段階ではダッシュ島が見えているが、そこは無人島であり夜間になると自分がダッシュ島に向かっていることを確認するすべがないことに気が付く。

一度水没したため体温もかなり下がっていた。ダッシュ島に辿り着ける確証も無い。

この段階で自分は死ぬんだろうと思った。何日かして水死体としてぶくぶくになった状態で発見されるのだろうと。死ぬと思ったというより死ぬのを受け入れていたという方が近い。

北に向かって流されている。東側の遠く25km先に航空機が離発着しているのが見える。松山空港だ。空港なら23:00ごろまでは明るいはずだ。

そちらに辿り着けば朝を迎える前には救助されるはずだ。

しかし南から吹く風を右側から浴びながら漕ぎ続けることになる。これはSUPやカヤックを体験したことがある人なら分かると思うが非常に危険なのだ。これらの乗り物は基本的に横からの波に弱い。

東側にどれだけ進んでも北側に流される進路になるので北東に向かって進むことになる。自分の進むスピードが遅ければ松山空港にはたどり着けずそのまま広島方面へ漂流するしかない。

それでもどうせ死ぬのなら伸るか反るか松山空港を目指すことにした。

 

19:00完全に辺りは暗くなり遠くの松山空港の明りと飛行機の離発着が目印となった。

ダッシュ島は既に確認できなくなった。

雨も降り始めた。体温が奪われていくのが手に取るように分かった。

何キロ沖に流されたかは分からないが波の高さはこれまで経験したことのない高さになった。時々SUPがサーフィンのようにうねりの上で滑る。ハイドロプレーニング現象だ。生きるか死ぬかの瀬戸際で私は初めて波に乗る快感を覚えた。しかし滑り始めると安定感が著しく落ちるのでなるべくサーフィンはしないように前重心で漕ぎ続ける。

 

そのまま約5時間漕ぎ続けた。遠くにあった松山空港が本当に少しづつ近づいている。

腕はパンパンで足も同じ姿勢のため感覚は無かった。

低体温症のせいなのか強烈な眠気にも襲われる。命がけだというのに眠気が勝つほどだ。

松山空港の目の前までたどり着いたが、空港の埋め立てはスリット状になっていて梯子も無い。考えてみれば滑走路内に侵入されることになるので当たり前だった。

スリット状の堤防に跳ね返った巨大な波が三角波になって何度も転覆寸前になるほどバランスを崩してくる。

そのまま無心で堤防の内側に回り込んだ。内側まで行くと波は嘘のように消える。

そこでやっと、なんとか生きては帰れるという確信を持った。静かとは言えない少し荒れた夜の港を漕ぎ進める。どこに着岸するべきか探すがテトラばかりで上がるところがなかった。さらに奥に行くと河口がありその中州に着岸できた。

 

岸には着いて安心したのだが、足の感覚が無く立つことも歩くこともできなかった。

加えてアドレナリンで抑えられていた低体温症の症状が突如襲ってきた。

これまで経験したことが無いほど体が震え物もつかめない。顎は冗談でもなく本当に奥歯が割れるのではないかと思うくらい、首ごと震えていた。

 

約20分ほどで足の感覚が戻ったのでSUP等はそのまま放置して救急車を手配してもらうために人を探す。

通りかかった軽バンに手を振ったが無視された。

想像してほしい。裸足でウェットスーツの男が土砂降りの雨の中徘徊しているのだ。関わりたくないに決まっている。

さらに濡れた鉄板の上を走ると滑って10年ぶりくらいにド派手にこけた。拍子に後頭部と腰を打った。

身体が浮いた刹那いよいよ死んだと思った。満身創痍の身体で転倒するというのは本当にキツかった。

想像してほしい。裸足でウェットスーツの男が土砂降りの雨の中鉄板の上で仰向けになっているのだ。

またしばらく雨の中を歩くと工場の門に守衛室があった。明かりもついている。

中にはやはり守衛さんがいた。救急車を手配してもらうよう頼んだ。

想像してほしい。裸足でウェットスーツの男が土砂降りの暗闇からぬーっと現れ半泣きで声をかけてくるのだ。恐怖だったに違いないが、飲みの席で笑い話にでもしていただきたい。

 

守衛さんは優しくずぶ濡れの見知らぬ男を自分の椅子に座らせてくれた。

約30分ほどで救急車が来た。担架に乗せられそのまま病院に直行した。

中度の低体温症と脱水症状だったが、ハイテクな毛布と点滴で2時間ほどで復活した。

 

今回の遭難の原因はスマホを落としたことに加えて未曾有の天候の急変だと思う。

安全装備にも問題は無く、天候も予報では万全だった。(2時間ごとの天気、気温、水温、潮流、風の方向までは事前に把握していた。)

アウトドアは必ず危険を伴う。それは誰しもが把握しているだろう。

しかし実際に危険な目にあった人は亡くなることが多いため情報が少ない。

今回私は偶然生還できたのでこのような記事を残すことにした。

SUPやカヤックフィッシングはもちろん海水浴中に遭難するケースだってある。そのようなときに少しでも冷静な判断ができるようお役に立てれば幸いだ。

危ないからやらないというのは自由だが、危ないからやるな。は賛同できない。その代わりに少しでも危険を回避するノウハウというのを共有したり現場で共助するのは自然の中で遊ぶ人間の責任だと思っている。

 

一応最初に投稿した記事も削除せずに残しているので、より詳細を読みたい人は一番最初の投稿を読んでみてほしい。

どうかアウトドアジャンキーの紳士淑女の皆様の人生が豊かになることを願ってこの記事を締めくくりたいと思う。