rk_southsideの日記

絶叫Z世代

コーヒーの話

中森明菜はブラックコーヒーをたくさん飲むとテレビで見た私は、高校生の頃ブラックコーヒーを飲んでむせ返した。

自分にとっての飲み物の価値観をぶち壊す苦みと香りに打ちのめされた。

出来れば缶に吐き戻してやりたいくらいだったが大人ぶって飲み込んだ。

一生好きになれないと思った。

 

それから専門学生になりイタリアンでアルバイトを始めた。

その店ではスタッフ全員イタリア人の名前が付けられる。私は【エンリコ】になった。

微妙過ぎる名前を貰った。

イタリア人の店長カルロスはお店のオープン前に必ず砂糖をどっぷり入れたエスプレッソをキめる。砂糖を入れ過ぎて少しとろみまで出るレベルだ。

エスプレッソがキまっているというよりもただの高血糖だろう。

カルロス曰くイタリアでは当たり前のことらしい。

ただ、その大きな後姿がなんだかかっこよく見えた。エキゾチックな異国の歴史と文化を感じた。ミ・アモーレ。それはブラジルの言葉でイタリアではない。

カルロスに憧れたエンリコは、オープン前に一緒にエスプレッソをキめるようにした。

最初は砂糖を入れずに飲んでみた。死んだ。

苦みの度を越えている。

おばあちゃんは昔私に言った。『苦いものは体にいい』それは真理ではないと思った。惑い惑わされてカーニバル。それ以来私はニヒリズムに陥る。

カルロスは隣でほくそ笑んでいた。

 

次のバイトの日には砂糖をしこたま入れて飲んでみた。

これが不思議なくらいに美味しい。苦みと甘み両極端の間の嫌な味は打ち消されている。音質で言うならドンシャリだ。

それからは毎日カルロスと一緒に甘味なエスプレッソを嗜んだ。

 

私の身体にも高血糖の症状が見え始めたころ、私はイタリアンのバイトを辞めて住宅会社に就職した。施工管理という職種だ。

休憩になると必ず職人さんから缶コーヒーを渡される。

現場の休憩とは缶コーヒーとたばこは阿佐ヶ谷姉妹レベルでセットになってくる。

私はコーヒーは飲めないままだったが、せっかく頂いたものなので日頃のストレスと一緒に飲み込んでいた。

ある時、噎せ返るような暑さで喉も乾ききって、ストレスもピークに達していた時。

キンキンに冷えた缶コーヒーを頂いて勇気を振り絞り滝のように流しこんだ。

初めて美味しいと思えた瞬間だった。

やわな生き方を変えられない限り 限界なんだわ坊や と

私の中の明菜が発破をかけてくれたのか。

 

スターバックスでは必ずダークモカチップフラペチーノを注文していた私は、まだ苦味を半分だけ拒絶しながらいつしかブラックコーヒーを注文するようになっていた。

半分だけ大人の真似をしていた。

今では苦味も大好きになり、ブラックコーヒーを完全に制圧したと思っていた。

仕事中はブラックコーヒーを1L飲む。

 

つい先日、今まで行かなかったような高級なカフェに行った。

私はアイスコーヒーを注文した。もちろんブラックで。

しばらく待って出てきたのは、なんだか色の薄いコーヒーだ。使用した豆の名刺のような物までついている。きっとこだわり抜いたアイスコーヒーだ。

一口飲んでみて交通事故に遭ったのかと間違えるほどの衝撃が走った。

酸っぱい。コーヒーとしてカテゴライズしてはならないほど酸っぱかったのだ。

私のコーヒー像は音を立てて崩れ落ちた。まるで歴史的建造物をダイナマイトで発破したようだ。これも明菜の仕業だろう。

コーヒーという文化の奥深さにぶん殴られた。この酸っぱさを誰かが評価しているのだから。

いい加減にして!