今日、帰宅途中に鹿を轢いてしまった。
今日の記事は人によってはショッキングなので閲覧注意とさせて頂く。
これまでタヌキを轢いたことはあったが大型の哺乳類となるとショックのデカさが桁違いだ。
私は年間5万キロほど走行する変人だ。それに加えて山道を走ることも多いのでこういう事故をいつかは起こす覚悟はあった。
午後7時。仕事を終え片道1時間半の通勤路の途中、山を2つ越える。その2つ目の山でのことだった。
日は沈み、街灯も他の車の灯りもない山道を走っていた。すると突然暗闇の中から何かが走ってこちらに向かってきた。あまりにも一瞬の出来事だったが、ヘッドライトに一瞬照らされた角があまりにも立派ですぐに鹿だとわかった。
しかしブレーキは絶対に間に合わない間合いから向かってきたので当然の如く衝突した。しっかりと。
自分の脳汁のせいか意外にも重量感や衝撃は感じず、何故かぶつかったはずの鹿が視界から消えた。
車の下敷きになったような感覚も無かったが、もしかするとと思って車から降りて確認しようとした。ところがドアを開け、足をつこうとおもったところで鹿が意識は無く瞳孔も開いて痙攣していた。
これはさすがに助からないだろうと思ったが、まだ生きているので道路脇の草むらの中まで、その大きな逞しい鹿を引き摺り入れた。
申し訳ないことをしたという思いで、もし死んでしまったら、車の上にでも積んで持って帰って食べようと思った。私は鹿肉が大好物であるが今回はそんな下心はなく、自責の念からの考えだった。
何もしてあげられることは無いが目の前で痙攣し、息がこのまま止まってしまいそうな鹿をただ撫でていた。
約15分くらいすると急によろけながら立ち上がり、私に目を合わせたりすることもなく、ヨタヨタと山の中に消えていった。野生の強さと美しさを目の当たりにした。同時に私は達成感というか束の間の充足感を味わった。
車に戻ってライトが壊れていたりしないか確認した。案の定バンパーには思いっきり穴が空いていた。この穴も衝撃を緩和してくれたに違い無いと自分に言い聞かせ帰路に着く。
人によっては野生動物を轢いたとて、そのまま無視して通過して行く人も多いだろう。私も以前タヌキを轢いた際は何も無かった様に走り去って行くタヌキをサイドミラー越しに確認し私も走り去った。
約2年前のことだが鮮明に脳裏に焼き付いたことがある。
また同じように車を走らせていた時のこと。
薄汚い白猫が道路に横たわっていた。薄汚くとも綺麗な白い毛には鮮血がまとわり付いている。普通なら避けて通り過ぎるが、その時は車のスピードを落とししっかりと猫を見た。
その白猫はまだ息があり、身体の1部は道路にへばり付いて一体化しているような状態だった。それでも頭をもたげ私の方をじっと見て目が合った。
私は猫が大好きだ。アレルギーがあるが家で飼っている。しかしあまりにも見慣れない猫の姿に本能レベルで込み上げる恐怖感というか不気味さがあり、自分に出来ることもないと。そのまま通り過ぎてしまった。
しかし、200mほど行ったところで、いてもたってもいられなくなり引き返し、車を知らない会社の駐車場に勝手に停めて白猫の方に全力で駆けた。
猫はまだ息があったが、先程よりも衰弱している。おそらく轢かれてまだ15分も経っていないくらいだろう。もう頭をもたげることも出来ないのか私の方を睨むこともしない。
車の中から感じた不気味さは白猫から死を感じるほど大きくなっていく。もう絶対に助かるはずのない猫をせめて道路脇に寄せてやりたかったが、怖くて触れられなかった。
頭の中では、猫が可哀想。せめていい形で終われるように何かしないと。私は一応人の心を持っているからしてやりたかった。しかし、身体は本能のままに死を恐れて、何かに引っ張られて止められるかのように白猫に触れることができない。
高所から飛び込みをする時の拒絶反応と似たような物だった。頭では大丈夫と分かっていても体が拒否するのだ。
古来より私達の祖先は死んだ仲間の近くには外敵などの危険があり、それを避けるように進化してきたのだろう。
私は結局何もしないまま。白猫の最期を路上で見届けた。ただ座り込んで白猫を見ていた。
死んだ後、猫を埋葬するか?せめて道路脇へ移動させるか?いろいろ考えたが白猫はもう死んでいる。先程の息のある白猫にも怯えて何も出来なかった私は。死んでしまった白猫からは、さらに自分の死の恐怖を感じ、当然触れることができず、結果そのままにしてその場を離れた。
読んでいる人は、どんな最低な人間なのだろうかと思うだろう。しかし本当にどうやっても触ることができなかった。そんな情け無い自分を後悔をしながら、たまにその出来事を思い出して今まで生きていた。
そんな中の今日の事故だった。痙攣する鹿を見て当時のトラウマとも言える白猫の記憶が鮮明にフラッシュバックする。
私は白猫の時と同じような恐怖を感じたが、前述したように自分ができるだけの事は出来た。
もしかすると今日の鹿も同じように鮮血を流し、もっと死を感じる状態だったら私は逃げ出したかもしれない。それでも結果としては鹿は生きて山に帰った。それだけで私のトラウマはまだ軽くなったような気がする。
自分の忌まわしい過去を浄化したような気持ちになる夜だった。